
ロマサガ3で、いつも仲間にして連れて歩いているメンバーは、誰だろうか?
私は、シャール、ミューズ、ハーマン、ハリードあたりだろうか。
彼らは、それぞれ欠点がある。
いわば障害者。
こういうキャラを、私は好き好んで連れて歩いている。
いつものメンバー...イツメンには、
「プレイヤーの深層心理」が、残酷なほどに出てしまうのだ。
そして、若い時は分からなかったことでも、
40歳になって再びロマサガ3を振り返ると、「分かってしまう事」があるのだ。
「あれは一体、どういう事だったんだろう?」
その意味が、フイに分かってしまう事がある。
「どのキャラを仲間として連れていくか?」そこに、その人の本質が出てしまう。
直視したくないような本質が、出てしまうのだ。
たとえば、
「ハリードがカムシーンを持つのは、どういう意味になるのか?」
そういうメッセージが、製作者からプレイヤーに問われていてる。
ロマサガ3は、プレイヤーが遊ぶゲームではない。
そうではなく、「プレイヤーの倫理が問われてしまう」ゲームだ。
プレイヤーを映し出す鏡としてロマサガ3が機能してしまう。
ゲーマーが、ゲームに遊ばれる。
そういったタイプのゲームなのだろう。
だから、ロマサガ3は今でも人気なのだろう。
2025年の今でも、ロマサガ3はこのブログの人気記事であり続けている。
それは、なにか、私に伝えているような気がして...
だから、私も何か書こうと思った。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-33664503"
hx-vals='{"url":"https:\/\/axiote.exblog.jp\/33664503\/","__csrf_value":"048da96dae3ec8895e0fe66b0c4146db4dc0bbbdc9480115d6090b85928265f29c571709fb2a965664b1da2d27e53b1e44680d4525f3329824ddc0e736d98108"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">